●生命保険犯罪を防止するために何をなすべきか(2000年10月19日)
和歌山事件、長崎事件、本庄事件、奈良県天理事件等々―まさに犯罪のカゲに生保アリのありさまである。 過去10年の保険金殺人・同未遂事件の検挙件数だけ見ても毎年5件前後、およそ四半期に一回以上発生している勘定だ。どおりでマスコミでひとつの騒動が終着すると、次の騒動がまた起こるのもうなずける。
重大な保険犯罪を許したことで、消費者の最大善意を拠り所とし、信義則で成り立つ保険制度に、消費者は明らかに背を向けつつある。保険が「危険な賭博」になることを防止する保険査定というコアコンピタンスに対する不信感がとりわけ顕著である。
●このままでは保険犯罪大国になる
この世に詐欺師が棲息する限り、保険犯罪は無くならない。しかし、生保の社会的信頼基盤が瓦解するような集中的かつ多重契約による大型保険犯罪や、再犯による常習的保険犯罪、子供など社会的弱者に対する保険犯罪、身内の営業職員等による保険犯罪については、これを絶対に看過してはならない。
重大な保険犯罪が頻発する今日の状況は、マスコミによる恒常的なアナウンス効果で、「あんなデタラメが通るのなら、入院日数くらい甘く見て貰っても構わないだろう」という、大量の保険犯罪予備軍を善良な契約者集団の中に醸成してしまう懸念すらある。通常、保険犯罪者への第一歩は入院給付金の不正受給から始まるものだ。来年1月の国内社への第三分野開放、将来のネット取引の普及や健保・労災の民営化移行の道筋をも展望すると、日本は保険犯罪大国になる可能性もある。
一般消費者の受け止め方はさておき、保険犯罪は犯罪者の病理の進行と、それに対する法制、監督行政、保険制度、保険会社の経営構造、保険営業、保険査定の体制等の複合的な手落ちないし手抜きによって発生するものであるから、ひとり生保会社のコンプライアンス体制をおためごかしに繕ってみたところで、事態は改善しない。
犯罪者の病理の進行に対応すべく、早急に商法改正(被保険利益の明文化、他の保険契約の告知義務の導入=生命保険法制研究会の改正試案がすでにまとまっている)をはじめ、保険金詐欺事案に対する国際標準の刑事罰の強化、金融・警察行政内への保険犯罪対応専任部署ないし専任者配置、生損保・簡保・共済横断の拡大情報交換ネットワークの構築、生保業界モラルリスク事案情報交換制度および保険金・給付金支払データ交換制度の創設、契約内容登録制度における新契約(貯蓄型保険除く)全件登録・全件回答の実施、そして個別各社の危険選択における被保険利益ルールの徹底、コンプライアンス体制の確立、営業・査定体制の改革までトータルに断行しなくてはならない。
●米国では脱税の次ぎに大きい経済犯罪
移民が多く人種のるつぼで、健保・労災が民営保険で運営されているアメリカでは、多くの州で被保険利益が法定されていてもなお、圧倒的な保険犯罪大国である。一般消費者のみならず保険代理店、ブローカーなどによる保険業界の身内の犯罪も多い。北米の代表的な生保・健保情報交換機関としては、非営利機構のMIB(1902年設立)があり、6〇〇社を超える保険会社が任意加盟している。医的選択情報としてHIV抗体検査や遺伝子情報までがすでに利用されているといわれる。
アメリカ市場の最新情報の提供で評価の高いSGNパシフィック・インシュアランス・ブローカレージ社のホームページ(www.sgnpasific.com/index.html)で、アメリカの保険金詐欺の動向が詳細に掲載されている。
その一部要旨を紹介すると、米国では保険に関わる不正や詐欺はその損害額において、脱税の次ぎに大きい経済犯罪である。連邦保険犯罪局(NICB)は、全米の保険犯罪による損害額が年間170億ドルに上ると報告。保険詐欺は「ザ・クワイエット・カタストロフィー」と考えられている。保険詐欺対策連合(CAIF)の報告によると、米国人の3分の2が保険詐欺のうち幾つかの例はいたしかたないとみなし、また60%が詐欺師は単に支払った保険料の正当な対価を得ようとしているだけだと考えているらしい。保険会社に最も広く利用されているのはNICBのデータで、保険会社は事故報告を受け取ると、保険金請求者の住所、免許証番号、電話番号、クレジットカード番号、社会保険番号、生年月日、性別等を同局のデータと照合している。
また、州法・州保険庁の対応については、少なくとも37州が保険に関わる不正・詐欺を重罪と定めている。この保険金詐欺法にしたがって保険会社は詐欺対策プランを立て、申込書その他の書類に詐欺に関する警告文を含めなければならない。メイン州ではこれに加えて、詐欺の疑いがあるクレームはすべて州保険庁に報告しなければならない。カリフォルニア州保険庁保険詐欺部門は保険金詐欺調査に従事し、調査官は治安担当官として認可された警察官であり、逮捕権限を有する。同部門の運営資金の一部は全認可保険会社からの拠出金である。ほとんどの州で保険会社は社内に詐欺対応の特別調査部署を設置することが法律で義務付けられ、さらに保険金詐欺の疑いがある事故報告については州保険庁の詐欺対策部門に報告しなければならない、としている。
アメリカと日本の国民性、保険法制、行政、保険制度、保険風土の相異は大きく、その動向のすべてが参考になるわけでもないが、日本の保険自由化が基調としてアメリカンスタンダードで進んでいることは確かである。その意味で、アメリカの現状のいくつかはわが国保険市場の将来像と受け止めなくてはならない。
●建前を捨てて、徹底した情報交換を急げ
では、以下に取り急ぎ改善すべき重要な問題点を指摘しておく。
まずは生保業界としてのモラルリスク事案のデータベースの構築と実態の把握を急ぐ必要がある。各社のモラルリスク事案のほとんどは個別に民事で処理され、保険金支払データの内容も含め各社間でその種データが交換されることも、業界として集約されることもない。つまり、生保をめぐる保険金詐欺・不正請求事案が一体どれくらいあるのか、実は誰も分からないのである。
ごく一部の刑事事件として立件された警察統計記載事案(元来、警察は民事不介入の性質から保険犯罪の手段である「殺人事件」に最大の関心があり、目的となる「保険金詐欺・不正請求」にはさほど興味がない)以外は、客観的に信頼できるデータベースがどこにもない。専門の査定担当者ですら「自殺者が増えていることから類推して、長期不況の影響でグレー部分を含めモラルリスク事案は増えていると思う」と、自社以外の全体像は把握できていないのだ。これでは対策の立てようもない。
事件発生時に慌てて付保状況を付き合わせるのではなく、モラルリスク事案を定期的に保険監督当局に報告させるルールを制定すべきだ。
通常、「入り口」の契約成立前(申込時)確認で排除されるのは大手生保でもせいぜい年に数千件、粗く見て新契約の0・3%〜0・4%程度で、一方、「出口」の保険金支払時の確認調査等で延滞利息の付くケース(請求後5日以上)は0・8%前後であり、「入り口」と「出口」でなにがしかの疑念を生じせしめるものが1%未満の割合で発生している。各社査定部門のプロの目に引っかかった事案を集約・交換することで、モラルリスクの確信犯は必ず見えてくる。さらに生損保・簡保・共済横断拡大情報交換ネットワークが構築できれば各社集中・多重加入、再犯の要素を満たす詐欺師を特定できる。これは不正当事者の情報を公開しない限り、保険制度および保険事業におけるリスクマネジメントの範囲内の行為である。
最近はコスト削減のため複数社間で事務処理システムの共同化を行うケースも見られるが、各社の死亡保険金・入院給付金の請求・支払データを定期的に交換することで、詐欺師の捕捉率を高めることができる。 商法の根拠規定で保険価額=被保険利益の概念が明確な損保の場合は、生保同様の人保険分野(自動車保険の中の対人賠償・各種傷害保険と、所得補償含む各種傷害保険)で、人保険情報交換システムを損保協会で運営している。このシステムでは、損保各社の損害調査拠点は事故受付時に、それぞれの事務センター経由で業界ネットワークセンターへ事故データ全件をデイリー送信する。ネットワークセンターでは受傷者名・事故日・事故地などを照合し、重複契約があれば1〜2日以内に各社に配信する。年間のデータ処理件数は各社からの送信件数が1030万件、ネットワークセンターからの配信件数が670万件に上る。
すでに第三分野で生損保相乗りで競合している今日、生保業界にその気があれば、明治時代の商法の呪縛や、プライバシーの保護といった建前論にかかずりあう必要はない。
●被保険利益のルール化を怖れる生保の本音
契約内容登録制度の運営は情けなくなるほど、半ちくである。情報交換制度の体をなしていない。
昭和49年の災害・疾病入院特約の発売以降、自動車事故をめぐる「当たり屋・当たられ屋」等の入院給付金の詐取が社会問題となり、MIBを参考に55年に情報交換制度が発足、58年に契約内容登録制度として約款に規定、平成元年に入院給付日額の重複加入・請求の排除を目的として制度改正、裳美会事件を契機に6年10月から新契約の死亡保険金の登録が追加された。
普通死亡保険金額1件1億円以上・2年間登録(照会契約含め登録保険金額合計3億円超で全件回答)でスタートし、和歌山事件後の11年4月から5500万円以上・5年間登録(2件目=1億1000万円以上で全件回答)、本庄事件の発覚で改正スケジュールを前倒しし、12年4月から3000万円以上・5年間登録(9〇〇〇万円以上で全件回答)と、重大事件が起こるたびに世間の様子を見ながら調整的改定を重ねてきている。 「入り口」の登録のバーが3000万円以上なら、「出口」も同額で全件回答すればほとんどの重複加入の確認ができるのに、合計9000万円未満の場合は「重複加入契約なし」との回答になるのだ。付保額9000万円以上の契約者は各社の社医扱い契約のウエートから類推しても、せいぜい一割未満だろう。粒々の詐欺師を捕捉するにはそれくらいで十分ということか。
要するに、生保業界はひたすら「出口」の金額だけは下げたくないのだ。そのバーこそ損保物保険の保険価額(時価額)のように、実質的に生保の被保険利益の上限値として位置付けられてしまう懸念があるからだ。社会福祉上、社会通念上妥当な利益としての保険金額の上限が下がれば、生保経営にとって貢献度の高い高額契約者へのしばりがきつくなるだけでなく、物保険と違い人保険だけの有限市場において全体的な付保額水準の低下をも招来し、生保市場の縮小につながりかねない。
もっと内実の商売レベルの話をするならば、自社の照会契約を含め9000万円以上の重複契約があることが分かったとして、目の前にライバル社の既契約の姿がしっかり見えるのに、自社の新契約申込分をたやすく要審査・排除対象として見ることができるのかという、査定現場担当者の感覚の問題がある。仮に全件回答の上限が3000万円〜5000万円の一般的な被保険利益すなわち必要保障額水準にまで引き下げられたら、約9割の世帯加入率からして、生保未加入者以外の自社の新規申込契約はほとんど後追いの重複契約となり、要審査・排除対象として見なければならなくなるのだ。毅然と排除して営業現場からクレームがつくことはあっても、サラリーマンの査定担当者の得点になることはない。9000万円といういかにも半端なヒット対象金額の設定に査定担当者のジレンマが透けて見える。
欧米では、特に子供を保険犯罪から保護するために、年齢ごとに低額で、かつ、きめ細かい付保額の上限規制を設けたり、加入後早期の保険事故には既払込保険料を返戻するに止める例もあるなど、厳格な被保険利益のルールを適用している場合が多い。保険犯罪のほうが一足先に国際標準化しつつある中、日本も現行の被保険者同意の条項に加えて、早急に保険契約法に生保の被保険利益について新たに根拠条文を盛り込む必要がある。そして死亡保険については二度と再びいかがわしい輩の混入を許さないために、行政に規制される前に、一般的な必要保障額をベースにした透明な被保険利益の業界自主ルールを策定すべきだ。とくに欧米法を参考に未成年の子供の保護を急がなければ、生保が保険犯罪を助長しているとの誹りを受けても弁明の余地はない。
これらの議論にリンクして契約内容登録制度のヒット基準額を引き下げたとしても、前述の査定担当者の現場の感覚からして、あくまでも一定の参考データの域を出るものにはならない。であるならば、詐欺師の混入を防ぐことを第一義にして死亡保険新契約の全件登録・全件回答を基本とすべきだ。各社の名寄せによる顧客囲い込みのためのシステム経費に比べれば、大したコスト負担ではない。
●企業のコンプライアンスは第一義的にトップの責任
次ぎに、組織と人の問題がある。 企業トップから営業機関レベルまでのコンプライアンス体制を確立し、企業組織のヒエラルヒーにしたがって、特に社会と保険制度に損害を与えた身内の保険犯罪については即座にトップが出処進退を明らかにすることだ。長年、募集(外野)問題に明け暮れてきた生保業界には、「営業職員の問題でいちいち責任とっていたら、社長が何人いても足りない」と真顔で言う者がいる。では、トップが責任をとらないコンプライアンス体制とはなんぞや?茶番である。保険犯罪のたびに生保が何故犯罪者と同罪であるかのようにマスコミで扱われるのか、冷静に考えてみたらいい。
地域によっては、支社長が伝統的に営業職員用の募集マニュアルでは引受禁止とされている者たちとの関係を断ち切れないケースも散見される。これで営業職員に何を指導するのか?笑止である。
モラルリスクの混入を防止する上で、専門の審査・査定担当者以外では保険会社の職制で最も重要な位置にいるのが、現場で諾否を判断する営業機関長(支部長)である。営業職員が持ち込んで来る申込書と営業(取り扱い)報告書を見て、申込者をチェックする。営業職員は当然、自らの成績を上げることに最大の関心があるので、契約成立を期待して報告書をまとめる場合が多いため、機関長には冷静な眼力が求められる。一方で機関長は最前線の営業推進の旗振り役でもあり、そこに職務矛盾が生じる。各営業機関に査定担当者を置き、相反する職務を分離するのも一法だが、大規模な社員増を伴うので現実的でない。それよりも審査・査定部門を拡充した方が合理的だ。事故頻度が低く、定額保障で加入時の危険選択を重視する生保会社の査定要員は事業規模に比し、極めて少ない(最大手同士の比較で東京海上5000人に対し、日本生命200人)。この際、倍増したところで大した負担にはなるまい。
生保危険選択の基本論では営業職員による申込者との「面接」「質問」「観察」を通しての第一次選択が重要だが、契約締結権・告知受領権・保険料領収権が無く(媒介行為)、2年以内に約8割も脱落する営業職員に過度の期待を寄せることは実態上困難だ。昨年1月の金監庁事務ガイドライン改定により、各社とも募集マニュアルに本人確認、説明義務、契約選択に関わる遵守事項等を盛り込んだが、何よりプロフェッショナルな中核人材の育成に注力することが不可欠である。
(「週間東洋経済生保特集号」2000/8/30掲載の筆者稿に加筆)
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