●生命保険犯罪はなぜ起きるか −生保業界の問題点について−(2000年3月26日)
●[結論]多重契約による生保犯罪を防止するには、以下の3点を早急に実施すべし。
(1)生保会社の企業責任として、営業現場レベルからコンプライアンス体制を確立すること。単に契約締結権のない外務員(営業職員)の第一次選択(モラルリスクのチェック)の問題として話を終わらせてはならない。社長→支社長→支部長→外務員一人ひとりが、改めて営業一辺倒の現場の実態を直視し、正に経営トップの責任として、すべての営業現場において引受マニュアルに基づく「面接」「観察」「質問」の基本動作の徹底を図ること。また、これまでしばしば見られた現場レベルでのモラルリスクにつながる可能性のある人縁やつきあいを、この際、一切断ち切ること。トカゲのしっぽ切りに終始している間は、モラルリスク事案はなくならない。
(2)他社契約の告知義務規定を速やかに導入すること。すでに改正試案が完成しているので、商法保険契約関連規定の一部改正を商法全体の見直しと切り離して実行すること。
(3)生保協会の情報交換制度(LINK)の登録対象契約金額を速やかに見直し、新契約について当面、普通死亡保険金額1000万円以上の有診査契約をすべて登録することとし、早期に純粋貯蓄型保険を除く全件登録を実行すること。顧客情報を悪用し、契約者のプライバシーを漏洩したり、営業活動等に不正使用した場合は、その影響度合により、当該保険会社または支社等営業店舗を所定の期間業務停止とする等の罰則規定を設けること。
●[解説]
○1760年代にイギリスで近代的な生命保険制度が確立したが、それと同時に保険金詐欺事件が発生していることからも分かるように、わずかな掛け金で大金が得られるという保険の効用と、保険の悪用つまり保険犯罪は表裏一体をなしている。基本的に保険制度が契約者を性善説で捉えて運営するものである限り、保険犯罪を完全に防止することは出来ない。
また、過去の保険犯罪の事例を検証すると、不況下において多発する傾向が見られる。最近の一連の保険金殺人事件も長期不況という時代背景を抜きにしては語れないだろう。大金を得るのに保険は最も費用対効果がよいからで、一方、保険会社も不況下では契約獲得を優先し、モラルリスクのチェックが甘くなりがちだからだ。
○内外の保険金殺人事件の類型を調べてみると、19世紀以降、最も普遍的な手口として行われたのがヒ素などの毒物を使った毒殺で、自然死(病死)を偽装したものが主流だった。近年、その手口が多様化し、溺死を偽装したり、交通事故死を偽装したり、第三者に殺人依頼をするようなケースが増えている。
日本でも、昭和49年の別府(荒木虎美)事件以降、いわゆるロス疑惑、トリカブト事件、和歌山事件、長崎事件、そして今回の本庄事件と、様々な手口での重大な保険犯罪が発生し、近年益々大型化かつ知能化しつつある。このように急速に大型化・知能化さらには国際化する保険犯罪に、ついて行かれないのがいまの生保業界の実状だ。
○別府事件、和歌山事件、本庄事件などに共通するのは保険契約が多数の保険会社にわたって掛けられている多重契約で、和歌山事件、長崎事件に共通するのは保険会社の外務員(営業職員)による犯行であり、本庄事件でも八木容疑者の紹介による特定の保険会社の引き受けが目立っている。
このような最近の保険犯罪の特徴から言えることは、犯罪の構成上、単に保険会社は保険金詐欺事件の被害者の位置にあるとは言い難く、そのあまりにも安易な契約引き受け体制が保険犯罪の発生もしくは大型化を誘発、助長しているといっても過言でない。
とりわけ保険会社と雇用契約を結んだ外務員(営業職員=一般企業の営業社員に当たる)による犯行、あるいはその安易な契約引受姿勢(法律上は外務員に契約締結権・保険料領収権・告知受領権はなく、契約媒介行為を行う)は、国民からみればいわば保険会社の構造的な問題から発生した犯罪との誹りすら免れないものだ。これだけ重大な保険犯罪が相次ぎ事件化した今日、保険会社は企業責任を明らかにし、コンプライアンス体制を確立しなければ、社会的な信頼は失墜しよう。
○保険金殺人事件は、あくまでも多額の保険金を詐取することを目的として、他人や家族までも殺すことを手段とする極めて残忍悪質な犯罪だが、日本の司法風土として、手段としての殺人事件が解決すればそれでよしとする風潮があるために、くり返し保険金殺人事件が起きても保険犯罪を生み出す背景が徹底的に検証されことはあまりない。したがって抜本的な保険犯罪の防止対策が未だに確立していない。
和歌山事件、長崎事件、今回の本庄事件の他にも、発覚していない保険犯罪がさらに水面下にいくつも潜んでいるとしても何ら不思議でない。
○法律上・保険制度上の問題点
@生命保険が誰にでもいくらでも勝手に掛けられるとしたら、それはまさに人命を賭した危険な賭博になってしまう。生命保険に加入することによって補償される社会生活上、ないしは社会福祉上、妥当な経済的利益(専門的に被保険利益という)の範囲や成立条件が特定されなければならない。
例えば、商法で物保険の損保の契約は「損害をてん補する」とあるので、時価すなわち保険価額を上限として実際の損害額を補償するものであることが分かる。つまり、時価に基づく保険金額を上限として補償される利益の範囲が明確になっている。
一方、商法上、人保険の生保は「一定の金額を支払う」契約とあるのみで、保険で補償される利益(社会生活上妥当な金額)の範囲や被保険者と保険金受取人の条件などがあいまいになっている。法律上の規定としてあるのは「被保険者の同意」規定で、本人の同意を得ることなく勝手に保険を掛けることはできないという大枠のしばりがあるのみだ。
これに対して、英米法では、生命保険によって補償される利益の成立条件として、例えば親子関係とか夫婦関係とか、被保険者と保険金受取人の間での現実的な利益が存在することが契約条件となることを法律で明文化している。したがって社会通念上妥当でない契約が成立することはないし、慣習的に保険会社の申し込み時の危険選択が厳しい。まずはこうした保険契約法制の問題がある。
A日本では何故、保険で補償される利益の範囲や成立条件が法律上・制度上あいまいなままになっているのかというと、戦前そして戦後の昭和40年代までは、生命保険は主に貯蓄手段として利用されてきたことによる。
したがって、保険で補償される妥当な金額、被保険者と受取人の関係などについて、保険会社はさほど注意を払う必要もなかった。したがって、保険会社はもっぱら外務員の陣容を拡大し、外務員はひたすら保険契約を獲得していればよかった。
Bこうした日本独特の危険選択に関してルーズな保険風土の上に、昭和50年代、60年代と死亡保障ニーズが高まり、定期保険特約を付加した高額な契約が一般化するようになった。さらに、バブル当時は保険会社の営業政策により一億円保障は当たり前といわれるほど命の値段もバブル化し、こうした流れの中でたやすく高額のモラルリスク、つまり、保険犯罪を企図した高額契約が混入するようになった。
C次いで、バブルが破綻し、超低金利時代で生保会社が巨額の逆ざやを抱え、定期保険特約の収益(費差益・死差益)で逆ざやによる利差損を穴埋めするようになった。営業現場の責任者(機関長)は営業推進の旗振役とモラルリスクのチェックとの両面の役割を担っているが、保険会社に収益をもたらす定期保険特約を厚くセットした保険契約については特に契約獲得を優先するようになり、反面、モラルリスクをチェックする意識が著しく低下するようになった。こうした一連の流れが、大型の保険犯罪を生み出した背景として指摘できる。
D定額保障を約束している生保では、本来、加入時の危険選択を厳重にしなければならないが、実態はほとんど無防備に近い。
A、保険加入時のチェックとして、まず外務員による第1次選択がある。外務員が申込者に直接対面し、「面接」「観察」「質問」を通して、申込者の危険度(モラルリスク) を評価する。例えば、健康状態や職場や自宅での生活状況をチェックする。自社または他社の保険金・給付金を受け取ったことはないか。仕事の内容、収入、事業所の場合は 創業年月、役員、従業員数、年商、経営状況などもチェックする。
他の保険会社の加入状況も聞く。具体的には主に次の3つの要素をチェックするマニュアルを各社とも備えている。
<申し込み経路>
本人の自発的な申し込みではないか(自発契約)。自宅以外での電話による申し込みや、喫茶店、他人の事務所等での不自然な申し込みではないか。他社の外務員や代理店を含め、余りよく知らない人からの紹介ではないか。申し込みに至るまでの面談回数が少なくはないか。
<契約形態>
契約者・被保険者・受取人は近親者か。内縁関係や知人、友人等を受取人とする契約申し込みは扱ってはならない。お金の貸し借り(債権債務)関係ではないか、生命保険金を借金の担保にしてはいないか。このような契約は勝手に扱ってはならない。
<保険金額>
資産、職業からして過大な保険金額の申し込みではないか。通常、契約金額は年収の15 年相当額、保険料は月収の20%以下を目安とする。不自然な他社との同時加入や、短期間での集中加入ではないか。とくに定期保険関係は十分チェックする。
<職業・生活環境>
契約者・被保険者は暴力団関係者あるいはそれに類する者ではないか。これらの申し込みは一切扱ってはならない。他社を含めトラブルを起こした者やその者からの紹介では ないか。職業内容は十分確認できるか。これらの点に該当する者や不審な者の申込み・ 保険料入金・診査手配は絶対にやってはならない。
外務員が上記の第1次選択をマニュアル通りやっていれば、モラルリスクの混入はかなり防止できる。生保が何故35万人もの大量の外務員を使っているのか、その最大の理由は対面販売によって「人が人をチェックする」という申し込み時の危険選択(第1次選択)が重要だからだ。しかしながらその実態は、@営業競争が優先しマニュアルが形骸化している A伝統的な国内生保会社の場合、採用後2年以内に約8割の外務員が脱落している。つまり、勤続2年以上のキャリアを持ち、ひととおりの危険選択の知識や経験を備えているプロフェッショナルな外務員は全体の2割しかいない―ところに、 保険犯罪発生の最大の原因があるといってよい。
生保外務員の大量導入大量脱落の構造が改善されない限り、今後ともくり返し保険犯罪が発生するだろう。
また、慣習的に他社の外務員との間で、あるいは外務員と保険代理店との間で見込客の相互紹介を行うケースもあるが、和歌山事件でもみられたように知り合いの外務員や代理店からの紹介客の場合、紹介を受けた側のチェックはおのずと甘くなる。外務員や代理店本人が犯罪を企図したり、協力するとモラルリスクは容易に混入する。広範囲にわたる多重契約を協力者の存在無くして素人が成立させることは、まず困難といって良い。
日本の生保業界は戦後の寡婦吸収雇用以降の伝統で、女性外務員主体の労働集約型販売チャネルによっているが、大半は自前の見込み客の基盤を持っているわけではなく、会社から与えられたテリトリーの顧客開拓が一巡すると、脱落せざるを得ない。欧米の生保ビジネスは多くの見込み客の基盤をもつ専属エージェント(ライフプランナー)、もしくはプロフェッショナルな独立エージェントやブローカーが主役になっている。日本も男女の性差に係わらず販売制度改革を断行すべきだ。
B、申込みの際の告知の内容にも問題がある。商法で「損害をてん補する」と定めた損保では、時価を超えて掛けた超過保険は無効となるので、他の会社の契約の有無について告知しなければならない。ところが人保険の生保には時価を上限とする保険価額の概念はなく、したがって、保険会社の危険選択上告知対象となるのは主に被保険者の健康状態などに限られる。
生保の告知事項については、「他社契約は商法上の重要事項に該当しない」とした明治40年の大審院判決以降の判例主義が定着している背景もある。 これに関して、平成10年に法律学者が商法改正試案をまとめており、早期に商法改正をおこなうべきだ。他社契約の告知が義務付けられると、多重契約の防止に効果が期待できる。
E外務員による第1次選択の次に、普通死亡保険金額1000万円以上の申し込みについて医的診査が行われる。それ以下の金額は無診査扱いとなり、審査部門でサンプリング調査を行うのみ。有診査契約については昔はすべて医師が診査していたが、最近はコストを圧縮するため、企業・団体での保健管理証明書でのチェックや保険会社職員の生命保険面接士によるチェックも行っている。
診査医は健康診断を行うだけでなく、申込者に対する告知聴取が義務付けられているが、総じて臨床的な診断を行うケースが多く危険選択の意識は低い(医者にとって病気は治すもので排除するものではないため)。和歌山事件での替え玉受診以後、各社とも本人確認の徹底を図っている。
F外務員には契約締結権、告知受領権、保険料領収権はなく、契約を媒介している。したがって、保険会社の審査担当者が必要があれば自社情報や生保協会の契約内容登録制度(情報交換制度)で契約確認をし、保険を引き受けることになる。
しかし、昨今、逆ざやの差損を穴埋めする定期付き終身保険や定期保険に対する危険選択が著しく甘くなっており、この種の保険に1契約3〜5,000万円以下の社会生活上妥当な金額で、各社に契約を分散すれば、ほとんどフリーパスで引き受けられているといって良い。
G生保会社は年間のボーナス月に合わせて販売重要月(強化月間)を設定しており、申込の処理が集中するため、この時期にモラルリスクが混入しやすい。また、従来は本社・支社の担当者のチェックを経て申込書の集中入力が行われていたが、現在の新契約システムは営業支部などの現場でのOCR入力が進んでおり、査定担当者によるチェックが以前のように行きとどかなくなったというシステム上の問題もある。
H契約を引き受ける際、そして、保険金請求時に生保協会の共同システムによる契約内容登録制度(LINC)で、必要に応じ契約確認を行う。従来は、死亡保険金額1億円以上の契約のみ各社がここに登録(2年間)し、合計3億円を超える他重契約があった場合にのみ全件の内容を回答する仕組みで、ほとんどモラルリスクのチェックができなかった。 生保協会は保険犯罪の増加に対応して平成9年以来改善を進め、11年度から死亡保険金額5500万円以上登録(5年間)し、2件目の契約から全件回答する形にした。これにより従来よりもモラルリスクのチェック体制は改善された(注・生保協会は2000年4月から、死亡保険金額の登録基準をさらに引き下げた)。
ただし、生保業界が保険犯罪につながる多重契約を本気で排除する姿勢があるのなら、死亡保険金額にバーを設けずに新契約(年間約1000万件)を全件登録すべきだ。大型の保険犯罪はこれでほとんど防止できるだろう。損保の自動車保険の場合でも、4,800万件の個人契約があるが、全件登録するシステムになっている。
生保がやらない(やれない)のは、1つには、契約者のプライバシーの問題がある。生命保険金が例えば相続に絡むケースもあり、情報が外部にもれるとそれによって犯罪を誘発することもありうる。しかし、何の情報であれ、外部にもれるようなことがあってはならないのは当然のことで、もれる懸念があるなら登録しないという議論は成り立つはずもない。
とどのつまり、何故やらないのかといえば、生保の営業は毎年更改する損保の自動車保険とは違って、人間という限られたマーケットしかないからで、自社の契約者の情報を他の会社に公開したら客がとられるという、業界内の利害関係によるものだ。契約内容登録制度の情報をもって営業活動を行ったときは、当該会社なり営業店舗を業務停止するくらいの厳しいペナルティーを実施すれば解決する。
相次ぐ保険犯罪により、生保業界は消費者の支持を失いつつあることに思いを致せば、業界内部の事情にこだわっている場合ではない。
I保険料の払い込みについては銀行口座振替の利用が一般化し、昔のように集金人が誰が実際に保険料を払い込んでいるのかを確認出来なくなった。和歌山事件でも本庄事件でも利便性の隙間に保険犯罪が入り込む構図となっている。
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