●デフレ下における保険業界の動向と着目点(10年2月7日)
<市場縮小とデフレの影響、ERMが生き残りの決め手に>
保険会社の経営に影響を与える主な環境変化要因として、@人口(国内市場)縮小、A政治体制・法規制の変化、B消費者・社会満足、C経済・産業動向(例えば、デフレ経済、モータリゼイションの終焉など)、D消費者のライフスタイル、E社会保障制度、FITの発展――などが挙げられる。
保険産業が市場縮小とデフレ経済の長期化に対応するには、リスク管理を重視した経営戦略が重要となる。最も優れたROE経営を実践し、時価総額(市場における企業価値)世界ナンバーワンに君臨していたAIGがもし、儲けるために金融保証部門に集めた金融工学のプロのせめて半数をERM(エンタープライズ・リスクマネジメント:総合リスク管理)の担当にしておいたら、いま過去形で往事の栄華が語られるようなことは起きなかったのではないか。また、AIG本社の事情で不意の身売り話に晒されたアリコジャパンと窓販トップシェアを競っていたハートフォード生命のほか、英国大手プルデンシャルグループのPCA生命が日本市場から撤退(既契約の保全業務のみ行なう)した。中小企業向け事業保険から変額年金窓販に特化したオランダ大手金融コングロマリットのING生命は再び保障性商品販売に舵を切り替えた。変額年金など投資型商品に特化した欧米市場における成功モデルをそのまま持ち込んだこれらの大手外資保険グループは、厳しい運用環境と費差収入が望みにくい市場性に見切りを付けた格好だが、運用面・マーケティング面でのリスク管理の失敗例と言えないか。
バブル破綻以降約20年に及ぶデフレ経済と、08年9月以降の世界的な金融危機に伴う不況は、日本市場における生損保会社の経営に大きな影響を与えた。
生保会社では有価証券の評価損・含み損の増大、ソルベンシー低下といった資産面への影響をはじめ、デフレで家計の可処分所得が減少したことによる新契約営業の不振、保有契約の解約・失効の増大に直面した。保有契約量の大きい大手生保では、転換を含む保有契約のグリップが最大のテーマであり、かつエリア市場の個人既契約と同心円の家庭内白地開拓を中心とする新契約営業の生産性向上が喫緊の課題となる。
価格面では、可処分所得の減少に対応するため、ローコストオペレーションによる低ローディング(付加率)を実現しなければならない。しかしながら戦後長らく、ビジネスモデル転換を経験したことがない国内生保会社の現状は主体営業網の労働集約型営業職員チャネルを前提に置かざるを得ず、収益確保のためには特約重ね売り型商品からの脱却もなかなかに困難であり、営業網における厳選採用・5年育成も、低稼働営業職員のリストラも、件数生産性向上も、営業現場の実態が旧来の業務プロセスの延長線上でのマーケティング(業績はおおむね陣容に比例する)の域に止まっているため、確たる成果は見られない。各社とも営業拠点の統合・再構築や営業経費の縮減に軸足を置いている程度であって、保有依存のハイコストオペレーションから抜けきれないでいる。
一方、損保会社は最大種目・自動車保険市場の縮小局面に直面した。新車販売台数が07年度、保有台数は08年度にピークアウトし、以降、自動車マーケットが縮小基調を辿り始め、可処分所得の減少に伴う消費者の価格選考意識の高まりによる直販損保の利用拡大も相まって、自動車保険の新規加入台数が減少局面に入った。また、これと同時進行で優良割引契約の増大、コンパクトカーの増大、補償内容のシンプル化などにより、言わば自縛型による保険料単価の減少(年2〜3%減)が顕著になっている。これらにより、自動車保険の減収→営業収支残の赤字に苦しんでいる。
これらの変動はしかし、保険業にとって環境変化に対応するためのリスク管理の重要性を認識する良い機会になったと思う。
今後、生損保会社は上記の複合的な環境変化要因により、国内市場では長期的に第1・2・3分野とも売り上げが逓減していくという意味では構造不況ビジネスの道程を歩むことになるだろう。縮小市場でのパイの奪い合いが激化し、市場競争から落ちこぼれる会社も出てくるだろう。
こうした環境下では、この先売り上げ(収保)がさらに数段落ち込んだとしても、ERMにより事業別・部門別のリスク量を計測し、保有リスクに見合う資本量を整合させ、合理的なローコストオペレーションと相まって、それなりにROEを創出しうるしなやかな事業体質を構築できた保険会社が生き残るだろう。
また市場原理に従って言えば、パイが小さくなるということは、他社がアプローチしにくい固有の募集基盤を保有する一方で、他社顧客を奪取できる営業生産性の高い販売チャネルを構築し、業務プロセスとシステムの簡素化、過剰な営業店舗網や内勤役職員のリストラなど徹底したローコストオペレーションを実行し、その果実として得た利益を優績中核チャネルに差別化して厚く分配(プロフィットシェア=営業職員は生涯賃金、代理店は専属報酬・プロフィットコミッションなど)できる保険会社だけが勝ち残れることになる。
<株転・新SM基準実施が生保再編の契機に>
いまはまだ、ほぼ同型モデルの生保会社が揃って生き残っているが、保有リスクに見合う資本の調達が困難であって、固有の独自基盤が無く、営業生産性が低く収益力が乏しい国内会社、外資系で親会社が資産劣化により公的資金注入プログラムで救済された会社、または日本市場から撤退する会社などが、資本力の強い内外生保会社ないしは3大損保グループに身売りしていく格好で、生保業界の再編が一段と進むだろう。
生保業界のトピックスとしては、来年度の第一生命の株転上場→その2年後のホールディング経営移行に関心を持つ。第一生命はバブル破綻直後の90年代半ばに、生保最大利源の保有S減少局面を迎えて経営者が危機感を抱き、人口縮小という生保会社にとって重大なリスクが招来する将来を睨んで、いち早くPL・BSベースでの部門別収益管理(経理上の社内分社化)をスタートさせた。その延長線上には朧気ながら株転の姿が見えていたのではないか。ほぼ時を同じくして、資産デフレによる生保経営の悪化と海外の生保相互会社の株転動向などを視野に入れた保険業法の大改正があった。新業法では相互会社の社員自治により契約者が事業リスクを負う保険金削減条文が無くなり、組織変更(株転)の規定が法定された。これらは生保相互会社の自律的な株転に備えた法整備だったが、大手生保は先送りしてきた。
約20年の長きにわたるデフレ経済下で消費者を満足させるだけの配当金が清算されてきたとは言い難い。また、近々、新ソルベンシーマージン基準が実施されるが、生保相互会社の資本・資金調達手段には制約がある。資本性の基金、負債性の劣後ローン、劣後債、相互会社債(普通社債)、レポ取引(債券貸借取引)などの手段があるが、剰余を基金借り入れの返済や負債性資産の利払いに充当することが社員満足に適うのか。本来の理念と実態が乖離したままでは社会(消費者)の納得は得られない。第一生命のそれは、相互会社経営論としての良し悪しに関わりなく、生保経営の実態に即して消費者満足・社会満足に適う選択肢と言えるのではないか。同社800万契約者のうち306万人もの株主の発生はそれ自体が経営リスクになるように思われるが、整数株を持つ37%の大半は同社営業職員で構成され、53%の端株は親密先金融機関で引き取られる構図は他者からのM&Aリスクを完全に排除できる。
同社の株転・上場の実践例は、大量の保有契約(社員)を抱える日本生命、明治安田生命、住友生命といった他の大手生保相互会社の株転→ホールディング経営移行への大いなるインセンティブとなるし、将来的には保険持株会社の下での生損保グループ統合もありうる。
今後、新ソルベンシーマージン基準の実施により、数値の低い生保会社の顧客離れや営業職員離れが顕著になろう。自己資本の拡大に迫られるメガバンクは資本の持ち合いの解消を進めており、これらを勘案すると、資本力の脆弱な生保会社が資本力の強い内外生保会社やメガ損保グループに吸収・買収されたりして、生保再編が起こる可能性がある。第一生命の株転・上場事例は、生保再編を誘発する契機ともなりうる。
<損保3大グループにおけるシェア争いと価格競争力の実像>
正味引受利益で約5割のウェートを占める自動車保険に替わる主力商品の登場が望めない損保会社の場合、とりあえず3大グループに至る統合合併によって収益を生み出す基盤を確保したが、独禁法の市場寡占ルールに抵触するようなさらなる2大グループ化へのアライアンスは現実的ではないだろうし、むしろこれ以上の規模の拡大より、統合合併によって抱えた各グループ内の多様なリスクの管理体制整備が当面の優先課題になる。
本業の事業統合を終息した東京海上グループはリスク管理を経営の基軸に置き、ホールディング取締役会が決定したリスク許容量に見合う資本をグループ各社に配賦している。引受リスク、運用リスクなど14種類のリスクごとに専門部署が管理するとともに、独立したリスク管理部がグループ全社のリスク管理を行ない、事業別の資本配賦に対する収益性評価と適切な資本量を検証し、リスク管理を基軸にした企業価値を創出する経営に着手している。
損保3大グループは安定した収益源の子会社生保部門のROE貢献度が小さいことから、既存生保の吸収合併やM&A意欲が高い。また、国内市場がシュリンクする中で海外ローカル物件の元受拡大にも積極的であり、それだけに国内外にわたるリスク管理体制を早急に確保しなければならない。
収保シェアで東京海上グループを上回る三井住友海上グループ(MS&ADインシュアランスグループホールディングス)は損保市場において、外形的には初めて価格主導権を掌中にした。これまで長きにわたり収保シェアナンバー1の地位にあって価格主導権を確保してきた東京海上グループは今後、後手に回らざるを得ない。役職員が未体験の戦いが始まるわけで、とりわけ役員の危機感は強い。
ただし、東京海上グループが抜本改革(業務プロセス・システム改革)に伴い当面必要な大規模なシステム改革を完了し、ローコストオペレーションの体制がまずは整備されているのに対し、三井住友海上グループはこれから統合モデルに即したシステム統合に着手しなければならない。とくに、合併後も当面はそれぞれ別個のシステムを使用するあいおい損保とニッセイ同和損保の合併会社と単体の三井住友海上がホールディングの下にそれぞれぶら下がる複雑なスキームであり、三井住友海上グループが効率的かつ迅速な商品・価格戦略を含めたマーケティング戦略が軌道に乗るまでには相当程度の期間を要するだろう。少なくとも傘下各社の業務プロセスのすり合わせやシステム統合などに5年前後の期間を要するだろうから、その間は店舗統合や人的リストラ以外にローコストオペレーションは困難であり、むしろ大規模かつ複雑なシステム統合にはハイコストを覚悟しなければならない。よって、3社統合によるローコストオペレーションの成果を軸とするシナジー効果はしばらくの間発揮できないと考えられる。さらに、M&Aや現法による海外元受ネットワークも多岐にわたっていることから、リスク管理体制を整備するには相当の時間を要するだろう。したがって、三井住友海上グループが収保シェアに即した価格主導権を発揮できるまでには、向こう5年以上の猶予期間をみておく必要があるだろう。
NKSJグループもこれから損保ジャパンと日本興亜損保双方の業務プロセスとシステム、リスク管理をすり合わせするところからスタートせざるをえないが、こちらは損保ジャパン主体による同型の2社統合であり、ビジネスモデルの糊代合わせに要する期間は三井住友海上グループより短くて済むのではないか。
こうした各グループが抱えるこれらの要因をみれば、10年4月以降の3大グループ間の競合は外形的なシェアの多寡に表れない経営基盤整備の進捗状況をウオッチする必要がある。むしろ、経営基盤整備を怠って目先のシェア争いと価格競争が激化すると、経営リスクを内包することになる。なお、損保3大グループに共通するのは金融工学を修めたリスク管理要員が少ないことで、海外損保から専門家を調達する方法も選択肢になろう。
(09年8月25日付保険毎日新聞インタビュー記事要旨に追記したもの)
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